同調だけでなく理解を!*キュアりょう

皆さんこんにちは、ソフトウェア情報学部一年のキュアりょうと申します!

今回のテーマは「同調」と「理解」です。


皆さんは普段の生活において、

家族や学校、地域社会など様々な社会集団の中で過ごしているかと思います。

そこでの他者との交流の中で自分の意見が求められた場面を想像してみてください。

「私は〇〇だと思うけどあなたはどう思う?」

と聞かれたときに

「〇〇で良いと思う。」と「〇〇が良いと思う。」

のどちらを使うことが多いですか?

前者は自分の意思を持たない、あるいは他者の意見で妥協しているかの概ねそのどちらかであると言えます。

一方で後者は明確な自分の意思を持つことによる返答であると言えます。

ここで今回のテーマである「同調」と「理解」が出てきます。

皆さんは無意識のうちに「同調」ばかりしていませんか?「同調」が当たり前になってはいませんか?

このブログを読んでくださっている方々には、

是非とも「同調」だけではなく「理解」していただきたいと思います。

なぜ「同調」だけではよくないのかと申しますと、

言動の責任の所在が「自分」ではなく「他者」になってしまうからです。

自分自身の言動は、当然のことながら自分自身に責任が伴います。

しかし、他者の言動であれば、これもまた当然のことながらその人自身が責任を負うことになります。

ですからそこに便乗すれば、責任を取ることなく意思表示ができるわけです。

最終的にその言動に対して何か不都合が生じたとしても、

「最終的な判断をしたのは〇〇さんだから、私は関係ありません。」

と言えば済みかねません。

もう少し身近な例を挙げると、

「友達に誘われたから」や「先生が~って言っていたから」などと不満を抱くことも。

自分の意思で行動していればそんな不満は抱かないはずですね。

話が回りくどくなってしまいましたが、結論としては

「何かをするときにはまず相手を受け止めて、そのうえで自分の考えを明確にすることが大切である。」

ということです。

私は、相手を肯定することだけが必ずしも「理解」ではないと思っています。

相手を受け止めたうえで意見を伝えるのであれば、

それが相互の「理解」につながるのではないのでしょうか。

皆さんも「理解」を意識して生活してみてくださいね!

最後までお読み頂きありがとうございました!

それでは、また今度♪